標識の歴史

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標識の歴史

History of Traffic Sign

標識の歴史
道路標識の製造販売を開始して60年以上。
ここでは私たちが歩んできた歴史と共に、日本での道路標識の変遷を振り返ります。
今、街なかで見ている道路標識が、また違ったものに見えてくるかもしれません。
 
では行ってみよー!
江戸時代の標識の歴史

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西暦 元号 おもな出来事
1580 天正8 織田信長が領内の街道にはじめて1里塚を築造
1601 慶長6 徳川家康が東海道に宿駅を定め、伝馬制を実施
1603 慶長8 徳川家康が将軍となり、江戸に徳川幕府が樹立
1624 寛永1 東海道(江戸日本橋ー京都三条)が完成
1635 寛永12 武家諸法度により参勤交代が義務付け
1657 明歴3 江戸大火をきっかけとして広小路が設置
1659 寛永1 五街道を専管する道中奉行を配置
1689 元禄2 松尾芭蕉が「奥の細道」を紀行
1697 元禄10 甲州街道に内藤新宿(新宿追分)を開設
1707 宝永4 宝永地震と富士山噴火が相次ぎ東海道が激甚な被害
1833 天保4 安藤広重が浮世絵「東海道五十三次」を出版
1659 嘉永6 ペリー艦隊が浦賀に来航

旧道筋の分岐点に建立された石柱に簡素な行先を示した道しるべは、追分石(おいわけいし)と呼ばれるもので、その多くは江戸時代に作られたものです。 石面にかろうじて読み取れる「右矢立峠」などの文字は、その昔道中を行く旅人に限りない安堵と利便を与えたに違いありません。 これが今日の案内標識の起源であったといってもよいでしょう。

また、織田信長が初めて造らせたという一里塚は、その後徳川幕府によって全国的に整備がされました。
一里塚とは、1里(約4キロ)とごに路傍小さな塚を築き、榎や松を植えて路程の目印にしたもので、これは今日でいう距離標(キロポスト)にあたるものです。

このような“道しるべ”としての道路標識の時代は、自動車が出現するまでの間、長く続きました。

追分石■追分石
明治時代の標識の歴史

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西暦 元号 おもな出来事
1868 明治1 明治天皇が江戸に遷移し、東京と改称
1869 明治2 諸道の関所を廃止
1872 明治5 東京~横浜間にはじめて鉄道が開業
1873 明治6 日本橋に道路元標を設置
1875 明治8 小田原~箱根間にはじめて有料道路が開設
1885 明治18 国道路線(44路線)を認定
1889 明治22 大日本帝国憲法が発布、市町村制が施行
1895 明治28 京都市ではじめて市街電車(道路内軌道)が営業開始
1898 明治31 築地~上野間をはじめて自動車の公道走行
1899 明治32 警視庁通達「制札制分例」が公示
1903 明治36 京都市ではじめてバスが営業開始
1904 明治37 日露戦争が勃発

さまざまな禁制を木札に書いて寺社の門前や村落の入口などに掲げたものを制札と称し、中世から時の権力者によって用いられてきました。
明治時代になると、ことに交通に関する禁制が達せられるようになり、これが今日の規制標識や指示標識にあたるものといわれています。

明治32年には、警視庁で「制札制文例」を通達として告示し、東京都府下に限定されるものであったものの、後の「標識例」(道路標識に関する現行法令)の原典となりました。

大正時代の標識の歴史

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西暦 元号 おもな出来事
1907 大正3 第一次世界大戦が開戦
    はじめての国産自動車(ダット)が登場
1919 大正8 旧「道路法」が制定
    東京・上野にはじめての交通信号機(手動式)が設置
1920 大正9 東京市ではじめて道路標示(横断歩道)が設置
1922 大正11 省令「道路警戒標及道路方向標ニ関スル件」が発布
1923 大正12 関東大震災が発生
1925 大正14 東京府の環状・放射道路計画が決定
1926 大正15 東京~横浜間にはじめて本格的な舗装路が敷設

大正時代になると、あらたな陸上交通の手段として自動車が注目されて輸入や国産開発が進み、これまでの牛馬車や手荷車に変わって自動車が公道を走るようになりました。

現在の道路標識の多くが自動車を対象にしたものですが、これに大きくかたちが近づいた のが、大正11年に発布された「道路警戒標及道路方向標二関スル件」という内務省令によるも のです。
自動車と同様に、先駆けであったイギリスに倣った形式と思われるものでした。

昭和初期の標識の歴史

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西暦 元号 おもな出来事
1930 昭和5 東京・日比谷交差点にはじめて電気式信号機が設置
1937 昭和12 アメリカ3M社によって反射シートが発明
1942 昭和17 「道路標識令」が制定
1945 昭和20 広島、長崎に原爆が投下され、太平洋戦争が終結
1946 昭和21 日本国憲法が制定
1947 昭和22 道路交通取締法が制定
1948 昭和23 建設省が発足
1950 昭和25 占領下の事情を反映し、「道路標識令」を全面改正
1952 昭和27 現行の「道路法」が制定
1954 昭和29 第一次道路整備5カ年計画が閣議決定
1956 昭和31 日本道路公団が発足
1958 昭和33 当社が道路標識の製造を開始(東京都府中市)

昭和17年の内務省令によって、道路標識の広範にわたって規定した「道路標識令」が制定されました。
これは色彩や形状などが今日の国連標識に近いものでした。 太平洋戦争が終結し、連合国軍の軍事占領下に置かれると交通 情勢は一変しました。
これに対処するため、これまでの「道路取締令」や「自動車取締令」 は廃止され、アメリカの総一車両法典に倣った新しい「道路交通 取締法」が制定されました。

また、この時代に国際的に自動車社会が進展するなかで、反射 シートが発明され普及したことは、以降の道路標識に大きく寄与する こととなりました。

昭和中期の標識の歴史

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西暦 元号 おもな出来事
1960 昭和35 「道路標識、区画線及び道路標示に関する命令」が制定
1961 昭和36 国道1号線が全線舗装を完了
1962 昭和37 東京にはじめての都市高速(首都高1号線)が開通
1963 昭和38 はじめての高速自動車国道(名神高速の一部)が開通
1964 昭和39 東京オリンピックが開催
1965 昭和40 名神高速道路(小牧~西宮間)が全線開通
1969 昭和44 東名高速道路(東京~小牧間)が全線開通
1970 昭和45 大阪で日本万国博覧会が開催
    交通事故による年間死亡者数がピーク(16,765人)
1971 昭和46 環境庁が発足
1972 昭和47 札幌冬季オリンピックが開催
1973 昭和48 第四次中東戦争勃発により、ォイルショックが深刻化

東京オリンピックの開催などが契機となって高度経済成長期を迎えました。
急速なモータリゼーションに伴って、道路インフラの整備力漁務となった時代で、高速道路がはじめて開通したのもこのころです。
一方では、交通事故の死者数が戦死者を上回るような勢いで急増 したことから「交通戦争」と呼ばオじて社会問題となりました。

昭和35年には「道路標識、区画線及び道路標示に関する命令」 (標識令)が改正され、反射式標識(反射シートを使用して夜間 視認性を有した標識)が採用されるようになりました。

昭和後期の標識の歴史

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西暦 元号 おもな出来事
1978 昭和53 沖縄県内の道路が右側通行から左側通行に変更
1981 昭和56 はじめてカーナビゲーションシステムが発売
1982 昭和57 中央自動車道(高井戸ー小牧間)が全線開通
1983 昭和58 中国自動車道が全線開通
1984 昭和59 運転免許保有者が5千万人を突破
    つくば市で国際科学技術博覧会が開催
1985 昭和60 「道路標識設置基準」が発刊
1986 昭和61 建設省通達「案内標識の表示地名に関する基準」が公布
    東北自動車道(川口~青森間)が全線開通
1987 昭和62 自動車の登録が5千万台を突破
    北陸自動車道(米原~新潟中央間)が全線開通
1988 昭和63 瀬戸大橋が開通

道路インフラの整備が進み、高度な道路交通網が形成されつつあった時代です。
案内標識にも、より利便性を高めるために、単一的な案内表示から、連携して交通を誘導できる機能が求められるようになりました。
このため、昭和61年の建設省通達「案内標識の表示地名に関する基準」によって案内標識に選定する地名が定められました。
また、同年に発刊された「道路標識設置基準」には、道路標識の計画、設計施工、維持補修に関する指針が具体的に示されました。

道路標識に用いられる材料も進化を遂げました。
反射シートは高輝度化され、基板はこれまでの鋼鉄製から、軽量で耐腐食性の高いアルミニウム製が主流となりました。

平成の標識の歴史

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西 暦 元 号 おもな出来事
1993 平成5 道の駅制度が開始
1995 平成7 阪神淡路大震災が発生
    九州自動車道(門司~鹿児島間)が全線開通
1997 平成9 東京湾アクアラインが開通
2001 平成13 ETCの一般利用を開始
    中央省庁再編に伴い国土交通省が発足
2005 平成17 道路四公団が民営化
2006 平成18 新「バリアフリー法」が制定
2011 平成23 東日本大震災が発生
    北関東自動車道(高崎~ひたちなか)が全線開通

大規模な道路インフラ整備は一巡し終息を迎えました。
いま道路標識に求められているのは、目まぐるしく変化する社会情勢に則した細かな対応です。

ユニバーサルデザインの概念は道路標識にも取り入れてられています。
例えば、国際化に目を向けた多言語の併記やピクトグラム(シンボルマーク)の採用、高齢社会に見合ったサイズの大型変更、反射シートの超高輝度化などが進んでいます。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

道路標識は時代とともに様々な変遷を経て現在の形にたどり着いています。

今後は、次世代モビリティ社会の到来によって、もっと大きな変化があるかもしれません。

将来に向けてどのような変遷をたどるのか?

アークノハラは、道路標識のパイオニアとして、今後もその変遷の中心に居続けられるよう、頑張ってまいります。

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